小林秀雄『モオツァルト』

何故今まで手を出さなかったんだ、小林秀雄。思っていたよりずっと読みやすくて面白い。一つ一つの章は長くないし、エッセイと言ってしまいたくなる短いのもある。しかし尽くされている言葉はがんがん刺さる。

クラシックは詳しくないけど、知識があまり無くとも読める様にはっている。音楽について、表現については自分の一番興味ある所だし。
バッハについては音楽観というより、むしろバッハ夫婦とその人生といつたような主題になつてゐる。
てな感じで仮名遣いや漢字が旧字である事に慣れるまでは読むのに時間かかったけれど、旧字なんて予測すれば読めるしね。


ワグネル(ワーグナー)について触れる所。バイロイトの祝典劇場は劇場というより、巨大なラッパであると書いている。
ワーグナーが確か自分の理想の音楽の為に作った劇場なんだよな。望むままの「自分の音」を奏でる条件というのはキリが無いワケだけど、劇場だなんて本当に贅沢だ。ルートヴィヒ二世とやらもご苦労様である。

自分の望む音というのは、天候など超人的なものにもある程度左右される所がある。だからキリが無いと書いた。しかし、キリが無いから諦めるのと、それを追求するかどうかは別問題。
俺の場合はどうもその場まかせ過ぎる所のだ。機材というものにこだわりがほとんどない。ドラムのチューニングくらいはするけど、与えられたままで如何に工夫して遊ぶかをやっている。自分で色々持ち込んだりはあんまりしない。
こちらの方が自分には向いているとは思うのだが、如何せんコントロールの効いたモノを望む観客は多いハズである。
コントロールの効いていない。いや、あまり効かせていない?コントロール出来ていない?プレイ。
果たして公開オナニーとなってはいないだろうか。それにしても別に美しくあればいいのだ。
美人のオナニーなら見たい、とは友人の誰かが言った台詞。美人のオナニーなら見たい人間は多い、くらいにしとくのが無難か。