R.P.ファインマン『困ります、ファインマンさん』とエビフライ。

前作『ご冗談でしょう、ファインマンさん』の感想はこちら

訳者あとがきによると、アメリカより先に日本で出版されたそーな。
確かに日本の話は何回か出てきて、かなりファインマンさんは日本のことが好きな様な描写だったけど、そんな事もあるもんなのね。

前作よりは、ユーモアは少なくなったかな。ただ、痛快なのには変わりない。後半チャレンジャー号の所では、権威とか政治とかが出てきて、なんだかむにゃむにゃな感じになってしまうけど。

僕ときた日には英語はからっきしだめだった。そもそも英語のスペリングなんぞというものは、自然界の現実とは何の関係もなく、ただ人間が勝手にでっちあげたものに過ぎない。だからそんなものを正しく綴ろうがちょいと間違えようが、ちっともかまうことはない。だいいち単語のスペリングなんかいく通りあったっていいじゃないか!そう固く信じていたから、英語というやつには我慢ができなかったのだ。(p.22)

学生時代にあったテストの点数の話。
ここだけ読むと、オイオイ、といった感じになるがファインマンさんなら結構ホンキで言いそう、と思わせてくれる。


あとは彼女アーリーンの死についてのくだり。アーリーンの事は、前作にもあったが今回はより深く語られている。ファインマンさんに似て、いたずら好きておちゃめな感じがよく伝わってくる。

彼女が死んだとき、ファインマンさんは心理的に自分をごまかし、一ヶ月は涙も流さなかった。
しかし、ショウウインドウのドレスを見て、「ああ、アーリーンの好きそうな服だな」と思ったときに、悲しみがどっとあふれたという。
死に限らず、ある人が恋しくなる時というのはこういう事があると思う。
そして特定の何かが「好きだった」という以上に「好きそうだな」という事で思い出すほうが、その人への思いが強い気がして、悲しい。

あとは父親のメルの事だ。ファインマンさんを楽しませながら、現実に基づいて考える方法、観察する方法を学ばせた。子への期待というものも大きかっただろうが、父子で楽しんでいる感じが伝わってくるからすごく健全な感じである。

全然関係ないが、死とモノと父という事で一つ。
自分は既に父を亡くしているが、父を思い出すアイテムの中にエビフライがある。
別に父がエビフライを好きだったわけではない。一緒に食べた最後の晩飯にたまたま出てきただけだ。そういえば母はほとんどエビフライなんて作らない。エビはブラックタイガーだったハズだ。
大食いの父ではあったが、これまた大食いの息子である僕にくれた事を覚えている。
まーそれ以来エビフライを食べる事に父を思い出すわけである。他にもっと重要なことがありそうなもんだが、何故か強烈にエビフライなのだ。

だからデカいエビフライをごちそうすると涙を流して食べると思うよ。
エビフライ怖い。