韓国、海鮮、土門、即身仏。

友人達と酒田の土門拳記念館へ行ってきた。道のり三時間弱で県内なのになかなかの距離だったけど、プリウス、ヤツの燃費は恐ろしい。

山形から北上する途中、戸沢村の道の駅が面白そうだったので寄ってみた。どうやら、高麗館という建物があったり韓国と友好のある場所らしい。韓国風?の建物が並び、お土産売り場では、山形のモノと韓国のモノがごたまぜで置いてあった。

そのなかでもとりわけ目を引いたのが、コーンシルクティーと玄米ティー?というかシルクティーって何?味は前者がキャラメルコーンと壮健美茶を混ぜたような味、後者は甘酒と玄米茶をあわせたような味だった。どちらも甘い。話に聞いたことはあったが、ホントに砂糖がお茶にも入ってるんだな。不味い!というほどでは無くて、まあ普通に飲める程度だったけど、ぬるくなったコーンシルクティーは美味しくなかった。玄米の方は、日本で普通に売っていてもおかしくないかも。ちなみにどちらもロッテの商品でした。
結構広い土地の割りにあまりモノが無くて、何のための場所かよく分からなかったな。あと館内地図がすごく適当だった。さっきワタシタチの行った場所は何処?無い!流石のクオリティーとか言ったら失礼かな。


5メートルはありました、この物体。地下女将軍という響きは非常に楽しい。


思わぬ所で楽しく時間を使ってしまって、酒田へ着いたのはお昼時。最初早く着いちゃうかなー、なんて言ってたけど、すごく丁度良い時間になったという結果オーライっぷり。
海鮮市場で食べてきました。田舎ではなかなか見かけないスゴイ行列でした。うまい、やすい、はやい。がウリらしい。確かに戦場の様な作業が見れました。セルフサービス式で、カウンターでお金を払ったら、受け取り口から結構なスピードで出てくるという方式でした。

こんなんが。これは板さんオススメなんとかで1300円位。他にもあったセットはもっと豪華な感じで値段もあまり変わらなかったんだけど、売り切れていて残念。ぷりっぷりな魚達を美味しくいただきました。
そういえばイカスミアイスを食べるのを忘れていた。


そして次はお目当ての土門拳記念館へ。立派でキレイな館だったのに、入場料は210円でした。安い。他の所も見習って欲しい。気になった作品を少し。
・「赤十字看護婦 なぎなた訓練」
異様。なぎなたを持った白衣の女性がずらっと並んでいる。左上から右下に列が下がる斜めの構図も妙にドラマチックすぎて、なんだか嘘くさい感じ。

・「しんこ細工」
子供の真剣な顔。どーやったら寄るの、そんなシワ。他にも土門の撮った子供達の顔は魅力的なモノがすごく多かった。

・「弁当を持っていない子」
お昼の時間、弁当を学校に持ってこない子が雑誌を読んでいるという場面。その少女の雑誌を見る眼差しはあまりに強くて、むしろ演出されてすぎいる様に見えた。実際はどうなのか分からないけど。

・「原爆病院の患者たち」
アタマを縫ってもらっている子供の写真。子供の目つきはとても強くて、子供らしい所が全く無い。いやがったり、いたがったりはしていない。一種の悟りみたいにも見えるが、プラスのものではない気がする。壮絶な体験によって子供が子供で無くなってしまったかのような。
・「母のない姉妹」
これも妙に大人びている子供たち。その前まで見ていた写真は1939あたりの写真だったんだけど、1959に撮られたこの写真の子供たちは突然「いま」の子供たちに近いように見えた。

楽器の演奏者、人形師の指をアップで写したもの。マメがあったり、つめが割れていたりしたけど、自分の指はどうだろうかなんて思ったり。

あと人物写真の部屋もおもしろかった。自分は肖像写真にあまり面白みを感じないのだけど、土門のものはおもしろいのが沢山あった。表情が妙にくだけていたり、仲良くないとこんな表情をしないのではないかと思う様なものがたくさんあった。印象に残ったのは山田耕作がパンツ一丁でピアノに座り、作曲をしている写真。


建物のまわりもキレイで、館を囲む池、広い自然公園。すごくゆったりとした場所だった。丘に広い公園、大学、美術館、写真館などが並んでいるのはとても良い感じだ。



次は即身仏を見に行った。これは海鮮市場で地図を見て、たまたま発見した場所でせっかくなので行って来た。海向寺という所。
常に人がいるのではないようで、インターホンを押すと人が出てきた。拝観料は400円で、色々と解説をしてくれた。

山形には全国の即身仏のうち、半分の八体がある。忠海上人と円妙海上人、二体一緒にあるのはココだけ。しかも最北端。
手塚治虫火の鳥」で見たのと同じような解説図が出てきた。
山ごもりして木の実を食べる生活をして、食事をどんどん減らす。そして生きたまま地下3メートルの井戸みたいな穴の下の棺に入る。中から地上に筒を出し、鳴らし続ける鐘が外に聞こえなくなったら、即身仏となる。そうすると特別な事をしなくても身体が残った状態になるけど、やはり失敗して崩れてしまうのもあるらしい。

即身仏は視覚に訴える。確かに、あんなミイラみたいなのが服着て、座っているだけでバカでも何かありがたいものなのだということは分かる。そして、地下で断食をして、この様な状態になったという事を聞けば、そりゃあすごいかも、と思えるのだ。「火の鳥」の中で我王は師匠が即身仏になった時に、そんな事をしても何にもならねぇみたいな事を言っていた気がするが、実際こうやってありがたがって?見に来ている自分達の事思うと複雑な気分になる。
200年ほどたった今でもこうして訪れる人が居て、ありがたやありがたやで、救ってもらえるという気分にしてくれている。即身仏になった方々もさぞやうれしがっている、というか修行をした甲斐があったのではないか。しかもその価値は時間を追うごとに増していくハズ。
12年に一回服を着せ替えると言っていたがどうやるのか、非常に気になる。というか、服を着ているのでせっかくの即身仏なのに顔と手以外はほとんど見えない。ホントに残っているならちゃんと見せてほしいとも思う。



同じ道のりを帰ってきて、7時位には山形市に着く。非常に充実した小旅行でした。一日の行動としては充実しすぎてる。いや、充実しすぎるという事は無い。Life is very short and there's no timeってビートルズの歌詞にあったな。
ある意味、その短すぎる人生という枠を身体で以って超えているのが即身仏でもあるか。