刈谷剛彦『知的複眼思考法』

自分の頭で、常識に捕われず思考する方法を書いている。
どこに居るのかよく分からない「みんな」の中で、いつのまにか共有されているステレオタイプ的な「常識」とやらを如何に打ち破るか。

本の流れとしては、概説、読書法、作文法、問いの立て方、複眼思考法の順。



すごくいいなと思ったのが、問題を分解する、つまり細かく細かく考えていく事の利点を説くと同時に、欠点も上げている所。子供の様に「何故?」を繰り返すだけじゃキリがないから、だそうだ。確かに。
ここらへん、この本で述べている創造的な批判がこの本自身のうちに実行されていることを意味する。


それで物事を分解して細かくすることの創造的反論には、概念化という考え方が挙げられている。
抽象性と具体性を如何にコントロールするかが知的複眼法を見につけるのに大切だということか。

抽象度を上げて概念として問題を表現し直すことによって、一見関係がなさそうに見えるケースを材料に取り込み、問いを考えていくことができるようになる。(p.262)

ことわざとか例え話ってのは、こういうモノの延長にある気がする。
ジャンルとかの境目を超えて行く知性。あこがれる。

「例えがうまい人はアタマが良い」というは中学時代のある先生がいった言葉だが、俺はそれを信じて疑わない。その先生は理科が担当だったが、その先生自身も例えがうまかった。理科に限らず例えがうまく無い教師の話はぜーんぜん頭に入ってこない。凄く話が飛んでいる様できちんと理科の事も話しているその先生の授業はとても面白かったし、俺は先生自身も好きだった。

その先生を好きだった理由は、単に話が面白いこと以上に、例えがウマイことに代表される柔らかな知性に憧れていたことも含まれるのだと思う。

俺が多分に影響を受けている伊集院光もスゴく例え話がウマい。
皆によく知られている一般的な言葉を使って、聞いた事も無いような、しかし想像が出来るような例えを使うのだ。ある種のシュールレアリズムに達していると思う事もある。
実はその先生と見た目も似ているのだが、それは関係無いか。



読解パートへの感想としては「めでぃありてらしぃ」とか言うよく分からない言葉を使うのはよしといて、モノを鵜呑みにしない態度を身につけたいと思った。



あと、とりあえず「自分ごと」として実行しないと意味が無いので、このブログや大学のレポートなどなどに使ってみよう。