しゅー

私は大学三年生、就職活動というものをしている。自分を社会とやらに売り込む活動なのだろうけれど、多分それはどこかの企業に内定が出たとしても終わらない。これから先の人生、自分を売って過ごすからだ。果たして売り物になるか、今の自分?と考えた時に自分の頭だけでは答えが出ないので、なるべく何らかの価値を作りながら一日一日を過ごそうとするも、それはなかなか難しい。
人に必要とされる?面白いと思ってもらえる?彼しかいない?金を払ってでも彼に来てもらいたい?一緒に何かを作りたい?コストに十分見合う働きが出来る?答えは出ないよ。まぁ、簡単に出てしまったら面白くないか。その過程を楽しむことが出来れば、長く楽しく生きられるかね。多分死んでも見つからない。逆に死を一種のゴールだと思って生きていれば、日々一生懸命に過ごすことが出来るかもしれない、と思うこともある。とか言いながら適当にタイピングしているのだけれど。たまにはこういう日記もいいかな。土日であまり人と喋っていないから、こういう場所にアウトプットさせてほしい。出さないと入ってこないので。ボーっと過ごしているような、そうでも無いような週末。やるべき事は多分沢山あるが、優先順序をハッキリと決められるほどの能力も無し。
話は飛んでしまうが、就職活動しているとやはり山形に居ることの不便さを感じてしまう。住めば都ということで、山形にきて一年。好きではあるものの。人との出会いが少ないのはやはりね。面白い人があつまる場所が東京だから、東京に行けばよいなんていう安直な考えも持たずにはいられないよ。どんなに情報通信が発展しようと生の人間と会うことの意義は薄れないだろうし。
就職活動が「社会」への自分PR運動で、自分自身が自分の歩く広告であるとすれば、「自分」はどこにいんのよ?どこ?アタマの中か?それともいないのか。それとも自分の体は商品のパッケージだと思えば良いのかな。それも大きなアピールポイントだ。コンビニでは目に付いたものを手に取るしな。パッと手に取りたくなるような商品であり、なおかつ深い味わいを持っていたい。贅沢だが、そう思うだけならタダなので、勝手に思わせておいて欲しい。まだハタチだ、少しぐらい傲慢でいさせてくれ。そして広告するにしてもあざとくなく。信用ならないという意味でうさんくさい人にはなりたくない。それと立てた看板に偽りがあってもいけないからな。素直に生きたい。