美研展を見に行った。

山形大学地域教育文化学部文化創造学科造形芸術コースの展示会を見に行った。テーマは「挑戦・芸術・進化論」
山形市内、ナナビーンズの六階ギャラリーにて。

浅野奈実《挑戦的》

こちらを向くカメレオン。
カメレオンというと色彩的な遊び、いわゆる「カラフル」なイメージと結び付けがちだと思うが、この作品はほとんどモノトーン。
白黒ももちろん色のうちだし、そこに遊びがないわけでもない。挑戦的なのは、ギョロリと眼を画面手前に向けるカメレオンではなくて、作者自身でもある。

荒屋敷響子《うつろい》

遠くから見ると黒のベタ塗りに見えるかも知れない。しかし、その表面にはザラザラしている部分があったり、ベタっと塗ってある所もある。鮮やかな青も隠れている。明確な変化とは言えないかもしれないが、じんわりと変わっていく感じ。暗さと綺麗さがとても両立していると思うのだけど、何が、と言われるといまいち表わしがたい所が「うつろい」的なのかもしれない。

大泉理紗《樹機として》

樹機というのは造語なのかな?元ネタがあるなら知りたい。
黒い森?黒の大木というか巨木。枝には二つの都市の如きもの。画面右上から刺す光、それと白鯨。
迫力もあったし、想像力の広がりを感じさせる作品。

長岡美津紀《D.C.

D.C.(ダ・カーポ)は曲のアタマに戻るという音楽用語。しかし画中の人物には頭部が無い。白く塗られている。戻ろうとしても戻れない?
代わりに木や芽生えのモチーフは「はじまり」を連想させる。
額の周りに楽譜が書いてあったのも印象的。何の曲のどのパートなのか、あるいは自作曲なのか。展示の仕方としては、楽譜の上部が見られなかったので、そこにも楽譜が書いてあったのか気になる。しかし、少なくともト音記号と二重線はあったのだから、その楽譜に「アタマ」はあったのだ。
D.C.は確認できなかった。

安田有希《誕生》

《誕生》という作品そのものよりも、「誕生が出来るまで」を展示していた事の方が興味深い。《誕生》の誕生、進化過程というわけだ。
リングノートを普通に壁に並べて貼る。そこには、テーマからの連想、マインドマップ的なアイディアノートから、制作時期の日記、作品とは一見関係のないことも色々。その日の買い物の事とか、授業のこと、落書きなどなど。いかにもオンナノコ的な可愛い字と進化論が云々などと小難しそうな事柄が一緒くたになっている。
どこまで考えて展示したのか、元から展示するつもりでコレを書いたのか。
とても面白かった。
作品自体を見て思った感想は、松ぼっくりって小人のドレスみたい、ということ。

阿部路子《生と死》

遠くから見るとそのまんまミレー《オフィーリア》。元ネタがいまいち詳細に頭に入っていなかったので、その場で比較は出来なかった。
作品の上部がゆるいアーチ形に白くなっているのは元のままなのか。この作品は下部も白くなっていたのだけど、どんな意味があるのだろう。
あと輪郭線を黒で描いていて、ミレーとは違う立体感、立体「観」の方が的確かも。

小嶋なつこ《ドリーの憂鬱》

羊のアップ。一番印象に残った作品。
クローン羊のドリー。
憂鬱とは銘打ってあるものの、なんだか表情が汲み取れない。ニヤリと不気味に笑っているようにも見える。
羊の表情なんて、偉大なる人間様には分からない、のだろうか。
黒ずんだ羊の毛そのままの様な全体のぼんやりと陰鬱なトーン。忘れられないドリーの表情。
夢に出てきそうだ。
進化論というテーマに真っ向から挑んだ作品だと思う。

塚本はな子《ワンダーランドII》

IIとなっているけど、Iはあるのかな。モノトーン。グルグルやトゲトゲ、小さく色々な生き物の様なもの。
ワンダーランドというには、あまりに暗い様な印象。
しかし「ワンダー」の在り方は人それぞれだ。




意外と、と言っては失礼だが、かなり楽しませてもらった。
大芸術家様の作品よりも、ある程度近い人間の作品の方が感じられることもあるということなのかもしれない。

自分はこういう展示会や何かの発表会などの、アンケートを書くのが好きで、大体いつもグリグリと裏側にまで書く。感想は伝えたいからだ、良いと思ったものを良いと言いたいからだ。そして、大体の場合感想が返ってくるのがとてもうれしい事を知っているからだ。
自分の作ったものを細かい所まで見てくれているとうれしかったり、自分の意図とは違う見方に驚きを得ることが出来る。

そして更にブログにまで書くという訳。
伝えられる場所があるのなら、そんなにためこんでおいてもしょうがない。