梅田望夫/茂木健一郎『フューチャリスト宣言』

対談形式だからか二人共かなりアツく語っている。それぞれが単独で書いている本よりも、主張が過激である。

<茂木>インターネットをグーテンベルク活版印刷技術の延長だととらえる人が多いようですが、むしろ、個人のキャラクターを際立てる場というか、自分とは何であるかということを説明するインフラが社会的にできたということの意味が大きい気がする。それがわかっている人とわかっていない人の差は大きい。芸大で教えていても、「私は芸大生だ」と自分の肩書きに頼ってモノを言うヤツは本当にダメで、「そういえば、俺、芸大生だったんだなあ、忘れていた」(笑)というくらいの学生のほうかいい。肩書きは要らない。ブログが一個あれば良い。ネットでのプレゼンスをどれだけ高めていけるかという、その戦略と言うのは大事ですね。

<茂木>大学というシステムが終わっていることは体感でわかるんですよ。つまりクラスルームに行って講義するまではいいのですが、その後宿題を出して、レポートや試験の採点をして成績をつけるという一連のプロセスがまったくナンセンス。学生のときは意味があると思っていたけれど……。

先月、名刺を始めて作った際に肩書きを何も入れなかった自分としては色々な思いでココを読んだ。しかも肩書きを入れるとすれば思い当たるのは大学くらいな訳で。どうせならこのブログのアドレスを名刺に入れればよかったな。茂木さんはイギリスのギャップイヤーという履歴書上(つまり肩書き)の空白期間についても語っている。自分が就職活動をする上でも組織に所属するという事の意味をもう一度考え直そう。現状では「新卒」という肩書きだけでも有利な訳だし。そりゃまあ、履歴書上の空白は認められないままだろうよ。

<梅田>ただ最近面白いのは、若い世代のブログを読むと、アルファブロガーの方がマスメディアで認められている人より偉いという感じがある。<茂木>アルファブロガーって全くの自由競争だもんね。談合は全くない。<梅田>新聞で書いているとか、どこの大学の先生だとか全く関係ない。匿名・実名入り混じって、ただ、この人はアルファブロガーだっていうだけ。そのほうが意味があると、二〇歳くらいの子はごく自然にそう思っている。

自分はちょうどハタチな訳だけど、確かにそうかもしれない。匿名という点ですぐに思いついたのがid:fromdusktildawnかな。偉いと感じているかというのはまた別だけど、自分にとってはTVで極論を打っている教授や文化人(不思議な言葉だ)よりも、よっぽど面白くて含蓄のある極論者であることは確かである。

WEBの世界に対する希望に満ちたこの本。読んでいると自分もワクワクしてくる。方向は似ていながらも、意見は同じ過ぎない。なかなか相性の良い対談なんじゃないだろうか。

フューチャリスト宣言 (ちくま新書)

フューチャリスト宣言 (ちくま新書)